Vol.2
納骨式における福音伝道
少し初夏を感じさせられる日、私は牧師服を手に抱え、霊園で2時間程待っただろうか。私が早めに着いたせいもあるが、遺族の方々は交通渋滞で1時間以上も遅れて着いた。腰を上げ彼らに近づき挨拶をしたが、冷やかな反応であった。冷たい空気が張りつめた中、10数人の遺族の前で納骨式を開始しなければならなかった。
このクリスチャン共同墓地「園の墓」に申し込まれた婦人は、故人の娘さんでクリスチャンであった。電話で納骨の申し込みを希望されてきたが、その後、親族に反対されたと2度、3度の延期があり、やっとこの日にこぎつけたのだった。しかし、ほとんど全員の親族が反対した中、本当によく申し込んでくれた。
「いつくしみ深き 友なるイエスは・・」賛美を始めると、二人の方が大きな声で賛美に加わって下さった。その婦人と、一緒に付いて来られた牧師であった。私は強い味方を得たように安らぎと力に溢れていった。賛美によって冷やかであった遺族の方々の顔の緊張も解けてきたように感じた。
メッセージは未信者の方々に向けて分かり易く福音を語った。これは私の喜びであり、かねてからの願いであった。参列者の彼らは普段耳も傾けたくない話を、厳粛な場で反論せず静かに聞いていなければならない。
納骨式が終わると、冷やかであった遺族の方々の顔は笑顔に変わり、感謝も申し出て下さった。
後日、その婦人から手紙を頂いた。「・・略・・。 穏やかで、うららかな日差しの中で、榊先生の喜びに満ちた福音を聞くことができ、心満たされました。 ・・略・・。」私にとって何よりも嬉しい言葉である。婦人は納骨式の後、あんなに反対されていた親族の方々と、神様の話が話題になり、楽しい交わりの時を持たれたようであった。
Ⅱテモテ4:1-2「神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思って、私はおごそかに命じます。みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」
クリスチャン人口の少ない日本では、多くの風習に縛られ、家族や親族たちからいろんな反発を受ける信者が少なくないと思う。しかしその中にあって私たちはみことばを宣べ伝える責務が与えられている。辛い時もあるが、永遠の祝福と比べると、それは取るに足りないことである。
今回の祝福は、親戚一同の反対を押し切って、クリスチャン共同墓地を選ばれた婦人の信仰と勇気によるものであった。私は反対されていた親族たちが次々と救われてくると感じている。