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エッセイ

Vol.26

固定概念

知らぬ間に固定概念というものはできてしまうものであるが、そこから出て新しく気付かされたことが二つあったのでお分かちしたい。一つ目は、人が最期を迎える場所についてである。私は現在の日本において、最期は病院で迎えるものであると思っていた。それゆえ人が末期状態になったら、入院をさせないといけないと考えていた。

しかし、最近の日本における在宅介護支援の体制は良い。末期がんで自宅療養をしていた父に、看護師を連れた医師の定期的な往診があり、容態が急変した時にも、救急車より早く駆けつけてくださった。入浴サービスを依頼することもでき、体の動けない父の居る二階まで浴槽が運ばれ、丁寧に洗って頂いた。車いすやトイレ内の手すりなども安価な貸与があり、取り付け等もしてくださった。そして父は夜十時に自宅で息を引き取ったのだが、医師はすぐに駆けつけてくださり、看護師は亡くなった父の体を丁寧に処置してくださった。

父には愛犬がおり、自宅で最後までその犬と共に過ごすことができたのは感謝であった。また食べたい物を自由に食べ、残す時間を遠慮なく家族と過ごすことができたのである。余命四カ月、長くても半年と言われた父が一年も生きることのできた理由の一つは、住み慣れた自宅での療養にあったと思う。もし闘病中の方がご家族におられ、そしてお世話のできる親族に恵まれていれば、ケアマネジャーの方などに相談し、在宅介護や療養を考えてみることも一つのオプションであると思った。

 

二つ目は、お通夜に関してである。お通夜は仏教的儀式であり、クリスチャンの私には何の意味もないと思っていた。また、それに対応するキリスト教の前夜式も、私はあまり必要性を感じていなかった。しかし父が亡くなった時、母の希望は、遺体をすぐに葬儀会場の安置室に搬送しないで、しばらく自宅においてほしい。そして自宅で親族だけのお別れ会をし、後日会場で葬式をしてほしいとのことであった。

以前私の叔父が亡くなった時、お通夜に来た僧侶が「線香を絶やさないように一晩中起きて見守りなさい。」と悲しみの中にあり疲れ切っている遺族に告げて帰ったことを覚えている。私は日本の葬式は何と遺族いじめの慣習であろうかと憤りを覚えた。昔線香は遺体の腐敗臭を消すためのものであって、ドライアイスのある現在は、線香を絶やさないで焚くことに何の意味があろうか。本来のお通夜のあるべき姿は、遺体の前に親しい人が集まり、故人の思い出を語り合う場である。

私は父が亡くなった翌日、実家に親族を集め、偲ぶ会を開いた。皆に平服で参加してもらい、私も牧師服を着なかった。父を回顧し、感謝していることを一つ一つ語った。そのように参加した親族全員に思い出や感謝を語ってもらった。涙あり、笑いありの和やかな偲ぶ会となった。お通夜(前夜式)と言われるものは要らないと思っていた私は、それは大切な時であったことに気づかされた。

 

私たちは、本来の意味を忘れ、慣習や形式、また固定概念にだけにとらわれ易い。

詩篇51:17に「神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」とある。儀式や慣習の本質を見極め、心を大切にしていきたい。

最後に、臨機応変に誠意をもって対応してくださったキリスト教専門葬儀社のライフワークス社(電話:0120-370-392)に、この場を借りて感謝を申し上げる。

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