Vol.4
身内の反発
クリスチャンの婦人から納骨の依頼を受けた。よく話を聞いていると、息子さんは牧師である。私は「それでは司式を息子さんにして頂きましょう。」と提案すると、それは出来ないので私にしてほしいと言う。何が問題かその時は知る由もなかった。
後日私は牧師である息子さんと電話で話をした。とても感じのいい方で、しっかりした牧会をされておられると印象を持った。問題は彼の姉にあるようであった。キリスト教に猛反対をしているという。葬儀もキリスト教式で執り行うことを許されず、無宗教式でされたという。その葬儀の最後に彼が一言祈ったことについても後でかなり責められたようだった。墓地に関しても大波乱の末、母親が結論を出すこととなり、最終的にクリスチャン共同墓地「園の墓」を選んで下さった。
牧師である彼は私にいろいろな要望を出してきた。キリスト教の雰囲気を出さないでほしい、牧師服を着ないでほしい、説教をしないでほしい、祈らないでほしい。彼はよっぽど姉に対するトラウマがあるのだろう。私は牧師である方からそのように言われ、おかしくもあり、哀れにも感じた。
式次第は牧師である彼が作ることになり、メールで送ってこられた。賛美が何曲も載っており、音楽による納骨式である。彼の娘さんがキーボードを奏楽し、伯父がフルートを演奏する。その式次第には聖書朗読があり、聖句はコリント人への手紙第一13章、愛の讃歌の箇所であった。「式次第に説教(奨励)の記載はできないが、そこから説教をしてほしい」とのことであった。私は結婚式ではいつもこの箇所を指定され語ってきたが、納骨式では初めてである。
納骨式の当日は天気に恵まれ、紅葉も美しかった。20名ぐらいの親族が集まり納骨式が始まった。全部で7曲賛美しただろうか、途中「うさぎおいし、かのやま・・」とふるさとの曲も入り、和やかな雰囲気で進められた。私は愛の讃歌の聖句は結婚式だけでなく、納骨式や葬儀にもふさわしいと再認識させて頂いた。
それにしても日本人は一般的にクリスチャンに対して良い印象は持っているのだが、身内に熱心な信者がいるのは許せない人が多いように思える。現に私の母親もキリストの話をしようとすると猛反発である。身内が永遠の裁きに遭うことだけは避けたい一心で、いつの間にか説き伏せようとしてしまっているからであろうか。
伝道者の書3:11a「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」
もっと主に委ね、主の導きと時を悟る者となりたいものである。