Vol.18
生前準備(4)
私の父は半年ぐらい前からよく咳き込み、普段の呼吸も苦しそうであった。病院での診断は気管支喘息であり、その薬を飲み続けていた。しかし半年近く経ってもなかなか回復に向かわず、逆に悪化しているに見えた。私はインターネットで調べ、これは気管支喘息ではなく、COPD(タバコ病とも言われる慢性閉塞性肺疾患)であろうと判断した。父を説得し、他の病院に移り検査をし直してもらった。その結果、肺癌であることが分かった。すでにステージⅣに進行しており、余命は4か月と告知された。
今まで3回にわたって生前準備について語ってきたが、私の念頭にはクリスチャンが対象であった。しかし、対象が未信者の自分の父となると、話は全く異なってくる。しっかりと葬儀の事前準備が出来、エンディングノートを立派に書き上げたところで、永遠を支配されている神の御前に立つ準備が出来ていなかったら何になろうか。
ヘブル9:27には、「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」と記されている。
人はこの世を去った後、聖い全知全能の神の御前に立ち、自分の生前の全ての行いに対して裁きを受けることが定まっている。「自分は悪い人間ではない。刑務所に入ったこともないから神様の裁判を受けても無罪で天国に行ける。」と思っていないだろうか?まだ神の赦しを受け取っておらず、神と和解していない未信者がその裁きにおいて申し開きなど出来ようか。最大の罪は、神を神としてこなかったこと、神の犠牲的な赦しの愛を拒絶してきたことである。
私は父に何度か福音を語ってきたが、彼は聞く耳を持たなかった。異常なほど熱心にいろんな宗教を転々としてきた自分の姉を見てきた父は、宗教に対して嫌悪感を抱いていた。
自分の子どもに信仰を伝承することも難しいが、自分の親に福音を伝えることは何と難しいことであろうか。救われてほしいがゆえについ説得しようと熱心になり過ぎてしまう。そしてそれに反発されると憤りまで感じてしまう。何と心砕かれ、愛と忍耐が求められることであろうか。
父は、手術を受けるには年を取り過ぎており、きつい副作用の抗癌剤も避け、自宅で余生を送ることになった。どのくらいの時間が残されているかわからないが、出来るだけ父に寄り添い、神の導きに従っていきたい。
自分の全ての罪を、神である御子イエス・キリストが身代わりとなって裁かれてくださったと信じる者は何と幸いであろうか。この世を去ってから神の御前に立つ時も、罪に定められることがなく、かえって褒賞を頂く時となる。
主イエス・キリストを自分の救い主として受け入れる。これ程大事な生前準備は他にない。逆にこの大事な生前準備さえしておれば、他のことは取るに足らないことである。