Vol.23
お焼香
知り合いのクリスチャン女性の母親が亡くなり、葬儀の依頼を受けた。亡くなられた母親もその配偶者も中国残留孤児の方で日本に帰国された人であった。そして葬儀に参列される親族、友人のほとんどの人は中国語で生活をされている方々で、日本語の理解が難しいようであった。そこで、そのクリスチャン女性に中国語への通訳を頼むことにし、賛美の曲も葬儀社に中国語バージョンをユーチューブで探してもらい、CDにしてもらった。
準備が整い、葬儀の始まる前に控室で待機していると、親族の泣き叫ぶ声が聞こえてくる。日本で生まれ育った人は感情をあまり表に出さない方がほとんどであるが、海外で生まれ育つと感情を素直に出されるのだと再認識させられていた。そんな中、葬儀社の方が控室に飛んで来て「参列者の方々がお焼香をしないと納得できないと言ってきておりますが、先生どうしましょうか?」と聞いてきた。葬儀を依頼してこられたクリスチャン女性以外の参列者は皆未信者であり、キリスト教式葬儀に参列したことがないという。
私は、「いいですよ、お焼香を許可しましょう。ただ式の中で行うことはふさわしくないので、火葬している間にその炉の前でお焼香をしてもらいましょう。」と応えた。葬儀社の方は、「拒否する先生が多いのですよ。」と私の返事に少し驚いていた。
仏教の習慣である焼香の意味はいろいろ言われている。自分の心と体のけがれを取り除き、清らかな心でお参りするための作法であるとか、先祖の最高の供養だと言う方もおられる。また、地獄の閻魔裁判に焚けば焚くほど亡くなった方の力となり有利になると考える方もおられる。しかし、クリスチャンにとってそれは異教の作法である。現に多くの教会では焼香を偶像礼拝の行為であるという理由で禁止している。
私たちクリスチャンは、本当の神を知り、真理を学んでいる。焼香や線香を上げたり、また遺体や遺影、そして位牌や墓石に対して拝むことは意味のないことであり、むなしいことを知っている。しかし、本当の神をまだ知らない人達にとってはどうだろうか。彼らは幼いころからそれら異教の影響を受け、それが当然の故人を敬う行為だと思っている。私たちが神の愛や真理を伝える前に、彼らにこれは良くないことだからしてはいけないと、頭ごなしに否定ばかりしていたら、彼らはどう思うであろうか。キリスト教の話はもう聞きたくない、クリスチャンにはなりたくない、と思うに違いない。
マタイ18:7にイエス様の厳しいお言葉がある。「つまずきを与えるこの世はわざわいだ。つまずきが起こるのは避けられないが、つまずきをもたらす者はわざわいだ。」
私たちは、未信者であった頃の自分を忘れ、気付かぬうちに多くの人につまずきを与え易い者である。彼らも本当の神を知れば、自然と様々な教えを納得できるようになる。私たちの責務は、律法的に未信者を裁くことではなく、神が私たちを受け入れてくださったようにまず彼らを受け入れ、神を伝えることである。
葬儀が終わってから、一人の年配の男性が声をかけてくださった。「キリスト教式葬儀は初めてだったが、とても良かった。いろいろ学ばさせてもらった。ありがとう。」