Vol.35
火葬について-終活牧師が行く#7
遺族にとって、故人を火葬する瞬間は、心の痛みと悲しみのピークです。 でも死とは「肉体と霊の分離」のことであって、私たち自身である「霊」は、すでに亡くなった瞬間に神の許に帰っているのです。あなたは、いますぐに神の御前に立つ準備ができていますか。
こんにちは、終活牧師の榊哲夫です。
今回は、火葬についてお話しします。
葬儀が終わり、棺に入った故人と火葬場に向かいます。
そして炉の前で最後のお別れとなります。
遺族にとって面影の残る故人を火葬するのは本当に心の痛み、悲しみのピークです。
この時に牧師は、牧師がおられなかったらクリスチャンであるあなたが、炉の前に集まってる遺族の方々に次のことを告げる必要があります。ご遺体は故人の面影を残しておりますが、その人自身はこの遺体の中にはもうおりません。その人自身は亡くなった瞬間に神の許に帰りましたと。
死とはなんでしょう?
肉体と私たち自身、霊とも魂とも霊魂とも言いますが、この分離のことです。この地上に生きている私たちは、今肉体と一体となっていますので、肉体が死んだら1巻の終りだと思ってしまいがちです。しかし私たち自身、霊は滅び去ることはありません。
聖書、伝道者の書12章7節を開くと「ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。」と記してあります。
私たちの肉体はちりから出来ていると言っていますが、これはこの地上の物質、大地の材料から出来ているということです。
人間の体の70%ぐらいは水分です。それを原子で言うとH2O、水素と酸素ですね。それ以外に人の体は炭素、窒素、塩素、カルシウム、カリウム、リン、イオウ、ナトリウム、マグネシウム、その他にも鉄、亜鉛、フッ素、ケイ素で出来ておりますが、これらの原子は全て大地の土の中に含まれています。
この肉体は、私たち自身、霊が地上を歩むための仮の住まいです。
そして、この仮の住まいである体はやがて老衰していく、もしくは病気や事故によって、地上生活を歩むのに適さなくなった時、「ちりはもとあった地に帰り」、体はその役目を終え、肉体の死を迎えます。大地の材料から出来ている肉体は大地の物質に帰ります。
そして、「霊はこれを下さった神に帰る」私たち自身である霊、魂とも霊魂とも言いますが、亡くなると同時に肉体と分離し、神の許に帰る、と言っております。私たち自身、霊は火葬される遺体に留まっている訳ではありません。亡くなった瞬間に神の許に帰っているのです。
厳粛なことは、神は全知全能のお方であなたの全てをご存じです。そして、義なるお方、罪を憎まれるお方であり、聖なるお方です。その方の前に私たちが世を去ったら出るのです。
このことは、終活において一番大切なことかもしれません。
■今回の参照聖句:
ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。(伝道者の書 12:7)