HOME > 終活牧師が行く! > 真夏の海洋散骨

エッセイ|キリスト教墓地 クリスチャン共同墓地「園の墓」 葬儀コーディネート エクレシアサポート

エッセイ

Vol.10

真夏の海洋散骨

朝8時に私の携帯電話が鳴った。今日これから行く予定の葉山マリーナからだった。「榊さんですか? 今日は波が高いので出航を中止にして頂けませんか。」確かに昨晩から少し風が強いなと思っていたが、空は快晴の海日和である。私はこの中止依頼の承諾を躊躇した。今日の海洋散骨を依頼して下さった方は広島の方で、昨日には移動して東京のご子息の家にすでに着いているはずである。今更中止しますとは言いにくい。私は「沖に出ないから、30分だけでもモーターボートを使わせてください。」と頼むと、「取りあえずお越しください。」との返答を得た。すぐに依頼主に電話をして、「今日は波が高く船は揺れますけど、それでもよろしいですか?」と尋ねると、依頼主は「沖に出なくても良いから是非本日執り行って下さい。」との予想していた返事であった。

依頼主は広島の牧師さんで、母親の散骨を依頼してこられた。私はそのご家族を逗子駅でピックアップし、予約してある港の会議室に向かった。ボートの上では揺れて落ち着いて式典は出来ないので、会場を借りて行う。メッセージは依頼主の牧師さんにして下さいと何度か頼んだが、私にしてほしいと譲らない。ご家族全員が皆クリスチャンで、被散骨者が未信者という私には苦手なパターンであった。しかし聖霊様の助けにより、本当に平安と慰めと感謝に満ち、主を礼拝する式典を持つことが出来た。

私たちは未信者の葬儀や納骨式、また散骨式におけるメッセージに困る。しかし私たちは、その人が救われていないと判断することは出来ない。人は死ぬ5秒前でも、神に心を向ける回心をしていれば救われるのである。私たちには知り得ないことである。
私の良く用いる聖句である伝道者の書12章7節「ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る」。誰であっても人は神の許に帰る。その後のことは神に委ねるだけである。神は愛なるお方、そして義なるお方である。その神に一切を委ね、礼拝することの出来る人は幸いである。

港からモーターボートを出し海洋に出るとやはり波は高かった。しかし快晴の真夏の海、水しぶきを浴びては皆「きゃっきゃ」とはしゃいだ。船を停め、祈り、賛美歌を歌いながら水溶性の紙袋に入った粉状の遺骨を自然の海に帰した。波は荒かったが、それと対照的に、私たちの心は平安と感謝に満ちていた。

墓地でお困りの方

  • 高額な墓地、墓石のご負担が要らず、墓の心配から解放されます。
  • 墓の永続的な維持管理から解放され、ご遺族、ご子孫に負担を掛けません(毎年の管理料不要)
  • 信者でないご家族の方の納骨も受け付けます。
  • 毎年召天者記念礼拝が開催され、故人を偲ぶ時が与えられます。
  • ご親族、ご友人への証しの機会となります。
  • 他の墓地からの改葬も受け入れます。
  • ご遺骨の無い方も受け入れ、墓地に名前と生没日が彫刻されます。
  • 教会墓地としてご利用いただけます。

資料をご希望の方は、無料でお届けしております。

資料請求はこちら
FAX用紙ダウンロード