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エッセイ

Vol.24

隠れクリスチャン

何十年も会っていない母方の遠い親戚の婦人から手紙が届いた。私が牧師をしているのをうわさで聞いて、墓前で召天者記念礼拝をしてほしいとの依頼であった。私の親戚にはクリスチャンは誰もいないと思っていたのでその手紙には驚いたが、とても嬉しかった。その婦人はカトリック信者であり、亡き母も信者であったという。私は親戚一同に福音を伝える絶好のチャンスと考え、その司式を喜んで引き受けた。
当日私はバイオリニストの娘を連れ、牧師服を着て墓前に向かった。用意しておいた式次第を参列者に配り、バイオリンの前奏で召天者記念礼拝が始まった。天候に恵まれた穏やかな日に、このようにして親戚の人たちに福音を語れる幸いを感謝した。
20名ほどの親戚が集まったのだが、半分ぐらいの人は私の子どもの頃しか知らない人たちであった。記念礼拝が終わり、予約してあったレストランに皆で向かう途中、何人かの人から私の話は分かり易くて良かったと感謝された。しかもよく聞いてみると、クリスチャンであるという。結局集まった人たちの中に、私と娘を除いても4人のクリスチャンがいたことが分かった。心強い味方がいたと嬉しい気持ちになったとともに、なぜ彼らは今まで他の人に黙ってきたのだろうかと残念であった。

クリスチャンの知人の中に、信者になったことを隠している人を私は何人も知っている。会社の人たちに隠しているというのは何とか理解できる。私も救われて間もない頃、大阪で職場の人たちに伝道していたら、東京本社の社長から呼び出され「会社で宗教の話はするな」と注意をされた経験がある。友人にもクリスチャンになったことを言わない人たちがいる。敬遠されると心配しているのだろうか。そして残念なことに、親にも、そして配偶者にも隠している人たちがいる。反対されて縁を切られると恐れているのだろうか。あなたが彼らに福音を伝えなかったら、誰が伝えるのだろうか。

ルカの福音書9章26節でイエス様は「もしだれでも、わたしとわたしのことばとを恥と思うなら、人の子も、自分と父と聖なる御使いとの栄光を帯びて来るときには、そのような人のことを恥とします。」と言われた。

私たちは救われた喜びを思い返したい。回心した後、聖い神と向かい合うと、自分は何と自己中心で愛のない罪深い者だったかと思い知らされる。自分の喜びや益ばかりを考え、他人の気持ちに無関心で冷たかったことか。そして自分を愛してくださっている造り主なる神を神と認めず、思いのまま高慢に振る舞っていたそんな自分は、裁かれ、恵みのない暗闇に落とされて当然の者であった。しかし、そんな罪深い自分を救い出すために、神自らが身代わりとなって苦しみを受けられた。肉が削ぎ落とされるほどに鞭打たれ、罵られ、ツバキを吐きかけられ、辱められ、釘打たれ、十字架に吊るされ、そして命を捧げられた。
これ程までに愛して下さっているお方を、自分の保身のために隠しておけるだろうか。自分の愛し誇れるお方を、親族たちに、友人たちに、隣人たちに喜んで紹介していきたい。

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