Vol.28
身内に伝道
以前に肺がんの父について語らせて頂いた。その父は余命4か月と告知されてから、本人の希望で自宅療養をしていた。その後1年間という貴重な時間が与えられ、2週間前に息を引き取った。
老衰とは異なり、肺がんはいつ亡くなるか分からない。そんなプレッシャーのもと、今晩亡くなっても後悔しないようにと、私はあの手この手を用いて福音を伝えようとした。しかし宗教嫌いな父は「もう2度と神の話をするな!」と怒ったこともあった。私がクリスチャン共同墓地の働きをしていて榊家の墓を継がないことを知っている父は、多額のお金を支払って、妹夫婦が継げるように自分の墓を造りなおした。救いから程遠い父を見ていて、私はストレスで帯状疱疹になった。
次第に父の足は弱り、トイレに行くにも車いすに乗せて家の中を移動しないといけなくなった。父と二人暮らしの母の体力も限界で、私と家内、そして妹は順番に実家に行き泊まり込んで介護していた。
私が泊まり込んでいる晩、父が私にベッドに座って神の話をするように頼んできた。私が話すのをあんなに嫌っていた父が、自ら話してほしいと頼んできたのである。神がいかに私の父のことを愛し、人として来られ、身代わりとなって裁きを受け、十字架で死んだことを話し、そして葬られ、3日目によみがえられ、今も生きておられる救い主イエスキリストを信じるかと聞いた。父は大きく頷いて救われた。神はいないと断言していた父は心を開き、神と和解し、罪赦され、永遠の命を頂いた。それは息を引き取る1週間前であった。
私は自分の行いや努力によって人が救われるのでないことはわかっているつもりではあったが、つくづく体験させて頂いた。救いは神の御業であり、全ての栄光は神に帰される。
この1年間、私の祈りは聞かれないのだろうかと神への信頼はぐらつき、もう救われないのだろうかと希望は消え失せそうになり、福音を拒み続ける父に対して愛は冷めそうになった時もあった。まさに、私の信仰と希望と愛が試され続けた。
この地上生活において、私たちの信仰と希望、愛は試され続け、練られていく。そしてついには成長した信仰と希望と愛を持って召天し、神の御許に帰る。
私たちは地上生活で忙しくたくさんのことをするが、永遠に価値のあるものにいつも目を留めて歩みたい。
Ⅰコリント13章13節「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」
父が召天した二日後、冨士霊園内「園の墓」で召天者記念礼拝が執り行われた。その時に参加されたご夫妻が私のもとに来て父の救いを聞き、涙を流して喜んでくださった。ご夫妻は、私の以前の記事を読まれてから、毎朝私の父の為に祈られてきたという。とりなしの祈りをして下さった方々、この場をお借りし心から感謝致します。