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エッセイ|キリスト教墓地 クリスチャン共同墓地「園の墓」 葬儀コーディネート エクレシアサポート

エッセイ

Vol.22

教会のルール

夕方遅く事務所の電話が鳴った。男性が気落ちした声で「先ほど母が亡くなりました。何をお願いしたらいいのかわからないのですが・・。」と大変困った様子であった。いろいろ話してわかったことは、①その男性はクリスチャンであり、教会に通っている。しかし、まだ教会の正会員ではないこと。②その教会は無牧の教会で、交代で他の教会の牧師先生がメッセージに来られていること。③亡くなった彼の母は、1週間ほど前に神様を信じることにうなずいたが、その教会にも行ったことがなく、洗礼を受けていないということ。④男性の心配は、そこの教会のルール上では、洗礼を受け、教会の正会員でないと、そこで葬儀をしてもらえないということ、であった。
そして彼の母が亡くなった病院から、遺体を搬出するように促され、困った挙句に私に電話をされたのであった。あまりお金をかけずにキリスト教式葬儀をしてほしいと希望であったので、私の親交のある葬儀社に電話をかけ、まず遺体の搬送をお願いした。

多くの教会では、教会員以外の方の葬式を受け入れていない。まれに地域の人たちへの伝道のために葬儀ミニストリーを行っている教会があるが、残念ながらその数はまだ少ない。教会が地域の一般の方の葬儀を受け入れないと、日本では通常仏教式葬儀が執り行われることになる。仏教を信じていなくても僧侶が招かれ、お経が唱えられ、悟りを開く修行のための出家の儀式が行われる。
葬儀は死について考えさせられる厳粛な場であり、神様のことを伝える最高の場である。教会がその最高の伝道の機会を逃してしまうとは、残念なことである。教会はもっと垣根を低くし、門を一般の方々にも開いたらどうであろうか。その地域のどなたであっても葬儀をし、もしお墓について困っておられたら、教会の墓地に一緒に入れてあげるという配慮も必要ではないだろうか。地域の困っている人たちに手を差し延べ、愛を示すことは、地域教会に求められていることであろう。

マタイの福音書9:13aに「『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。」とイエス様のことばがある。儀式的、律法的にならず、愛を示しなさいと言うことである。教会員が増えるとルールが必要となり、年月が経つにしたがって規則も増えてくるのは仕方がないことである。しかし、私たちはそれだけに縛られず、寛容を示すことは、神様が喜ばれることだと思う。

上記の困っていた男性から間もなく嬉しい知らせを受けた。その教会の会堂で彼の母の葬儀をしてもられることになり、訪問してくださっている牧師先生の一人が司式を引き受けてくださることになったという。教会や先生の柔軟な愛に満ちた対応は、その男性のみならず、ご遺族の方々の気持ちをも解きほぐされたに違いない。
本当に感謝なことである。

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